ギャラリーの方にもちょっとばかり書いたのですが、
レディマイ2のカノンノを見ていると受験生時代に問題として幾度となく我が前に立ちはだかった(?!)
更級日記を思い出します。
え、どこら辺が?とか思った方や
更級日記って何よ?うまいの食えるの?とか
お思いの方は以降の文書を読む読まないをちょいっと考えてみてくださいな。
一応受験時代の話ですし、もしかしたら参考になるやもしれませぬ。
まぁ多分ならないけどね(笑)
受験時代、文系を選んだ人間として大きな壁であった古典文法。
その中で、絶対に本番で当たりたくないと思った文学がノートにとってはこの「更級日記」だったりします。
それは何故かって?
それはこの日記の著者の菅原孝標女さん(私的には漫画版の影響で更級(さらしな)日記のサラちゃんと呼んでます~)が関係してくるのです。
古典文学の読解において重要なのが
1:古典単語の理解
2:助詞・助動詞の正確な理解(レディマイ2でキールの言っていたことは正しいですよ)
3:古典常識の理解
だと私的には思うのですけど、更級日記ではただこの三つ理解するだけだと間違った方向に進む可能性があります。
その主な原因はこのサラちゃんにあってですね・・・この子ってば困ったことに当時の常識と正反対のことばかりやるのです。
天皇が都へと戻ってくると都の人はみんな天皇の行列を人目見に出てくるのが当時の常識で、それをしない人はまずいないのですけど、サラちゃんは目もくれずに都の外に行こうとか考えるんです。
つまるところ、サラちゃん・・・ついには更級日記を理解するためには当時の常識を理解すると共にその常識に反する当時の非常識までしっかりと理解しておく必要が出てくるわけでして、
そこまで自分のオツムじゃあ到底回らないわけですよ・・・(ううっ
これに比べたら、源氏物語なんて楽な部類ですよ(あくまで受験レベルでの話です
皆さん暇を持て余しすぎて頭の中は「エッチなこと」しかないわけですから・・
高橋留美子のらんま知っている人なら久能帯刀あたり想像しておけば良い訳ですし。テイルズならまんまゼロス・・・じゃないか、あちらは読んで字の如くのプレイボーイだし。
以上前振り終了(ながっ
さて、このサラちゃん
かなり有名な今で言う文学少女で、
いつでもどこでもお話の世界に思いをはせるいわゆる「夢見がちの女の子」でもあったわけです。
なにせ源氏物語を読むために地方から都へ戻ってきたと豪語しているわけですしね!
時には物語の世界に憧れるあまり「源氏物語」を踏襲して親の反対押し切って宮仕え始めるとか
本来がっかりな「都落ち」を食らったときも光源氏も「都落ち」をする場面がある故に周りに落胆してる中一人テンション上げたりと
ちょっと行き過ぎなくらい「文学の世界」に乗り入ってます。危ない。
もちろんそういった出来事の度に現実と想像の世界のギャップを知ってがっかりするのがサラちゃんおきまりのパターンなのですが。
・・・端から見てるとそれがめちゃかわいい(マテ
でも、そのうち現実と想像の世界が違うことを受け入れて大人になっていく段階がやってきます。
夢見がちな女の子が自分を諦めて、現実でのちっちゃな幸せを手にして大人になっていくというのが、更級日記の物語。
楽しい空想や想像は現実の中では生きられない、いつしか諦め捨てて振り返らずに大人になるときが、きっとどの子供にもやってくる。
それを語るこの物語の寂しくて純粋な部分は大好きです。
カノンノは物語の中では楽しい想像が偶然にも、たまたま現実のものとなることになったけど
パニールの言う「いつか子供を抱くとき」を夢のまま過ごすことはきっと出来ないはず。
コウノトリは子供を運びません。
そうした先の部分を想像するのは楽しくもあり、ちょっと寂しくもあるのですが
自分は好きです。
以上、つまらない話のオンパレードでゴメンナサイ。
時には語って見たくなることもあるのです。特にメモリークラッシュが連続したときなどは(泣
読み返してみると形になってないから自己満足でしかないけどね~
『NHKまんがで読む古典2 更級日記・蜻蛉日記』は個人的にオススメです。
ついでにも一つ、蜻蛉日記のかげろうさんの文学史上最古(?)のツンデレも面白いですよ
(ほんとはアマゾンとかとリンク張っておきたいのですが、やりかたがわからない・・・)
レディマイ2のカノンノを見ていると受験生時代に問題として幾度となく我が前に立ちはだかった(?!)
更級日記を思い出します。
え、どこら辺が?とか思った方や
更級日記って何よ?うまいの食えるの?とか
お思いの方は以降の文書を読む読まないをちょいっと考えてみてくださいな。
一応受験時代の話ですし、もしかしたら参考になるやもしれませぬ。
まぁ多分ならないけどね(笑)
受験時代、文系を選んだ人間として大きな壁であった古典文法。
その中で、絶対に本番で当たりたくないと思った文学がノートにとってはこの「更級日記」だったりします。
それは何故かって?
それはこの日記の著者の菅原孝標女さん(私的には漫画版の影響で更級(さらしな)日記のサラちゃんと呼んでます~)が関係してくるのです。
古典文学の読解において重要なのが
1:古典単語の理解
2:助詞・助動詞の正確な理解(レディマイ2でキールの言っていたことは正しいですよ)
3:古典常識の理解
だと私的には思うのですけど、更級日記ではただこの三つ理解するだけだと間違った方向に進む可能性があります。
その主な原因はこのサラちゃんにあってですね・・・この子ってば困ったことに当時の常識と正反対のことばかりやるのです。
天皇が都へと戻ってくると都の人はみんな天皇の行列を人目見に出てくるのが当時の常識で、それをしない人はまずいないのですけど、サラちゃんは目もくれずに都の外に行こうとか考えるんです。
つまるところ、サラちゃん・・・ついには更級日記を理解するためには当時の常識を理解すると共にその常識に反する当時の非常識までしっかりと理解しておく必要が出てくるわけでして、
そこまで自分のオツムじゃあ到底回らないわけですよ・・・(ううっ
これに比べたら、源氏物語なんて楽な部類ですよ(あくまで受験レベルでの話です
皆さん暇を持て余しすぎて頭の中は「エッチなこと」しかないわけですから・・
高橋留美子のらんま知っている人なら久能帯刀あたり想像しておけば良い訳ですし。テイルズならまんまゼロス・・・じゃないか、あちらは読んで字の如くのプレイボーイだし。
以上前振り終了(ながっ
さて、このサラちゃん
かなり有名な今で言う文学少女で、
いつでもどこでもお話の世界に思いをはせるいわゆる「夢見がちの女の子」でもあったわけです。
なにせ源氏物語を読むために地方から都へ戻ってきたと豪語しているわけですしね!
時には物語の世界に憧れるあまり「源氏物語」を踏襲して親の反対押し切って宮仕え始めるとか
本来がっかりな「都落ち」を食らったときも光源氏も「都落ち」をする場面がある故に周りに落胆してる中一人テンション上げたりと
ちょっと行き過ぎなくらい「文学の世界」に乗り入ってます。危ない。
もちろんそういった出来事の度に現実と想像の世界のギャップを知ってがっかりするのがサラちゃんおきまりのパターンなのですが。
・・・端から見てるとそれがめちゃかわいい(マテ
でも、そのうち現実と想像の世界が違うことを受け入れて大人になっていく段階がやってきます。
夢見がちな女の子が自分を諦めて、現実でのちっちゃな幸せを手にして大人になっていくというのが、更級日記の物語。
楽しい空想や想像は現実の中では生きられない、いつしか諦め捨てて振り返らずに大人になるときが、きっとどの子供にもやってくる。
それを語るこの物語の寂しくて純粋な部分は大好きです。
カノンノは物語の中では楽しい想像が偶然にも、たまたま現実のものとなることになったけど
パニールの言う「いつか子供を抱くとき」を夢のまま過ごすことはきっと出来ないはず。
コウノトリは子供を運びません。
そうした先の部分を想像するのは楽しくもあり、ちょっと寂しくもあるのですが
自分は好きです。
以上、つまらない話のオンパレードでゴメンナサイ。
時には語って見たくなることもあるのです。特にメモリークラッシュが連続したときなどは(泣
読み返してみると形になってないから自己満足でしかないけどね~
『NHKまんがで読む古典2 更級日記・蜻蛉日記』は個人的にオススメです。
ついでにも一つ、蜻蛉日記のかげろうさんの文学史上最古(?)のツンデレも面白いですよ
(ほんとはアマゾンとかとリンク張っておきたいのですが、やりかたがわからない・・・)
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